2014年2月19日水曜日

研究室のHPを新設


 約6年あまりにわたって放置していた研究室のホームページを更新(ほぼ新設)しました。

 研究・教育・社会活動等、一通り網羅して紹介しています。

 こちらもご覧ください。


 → 北海道教育大学釧路校 戸田研究室HP



2014年2月13日木曜日

聴覚障害学生の支援


 今日から、本当~に久しぶりの札幌出張。この数カ月、とにかく忙しくて釧路を離れられず…。
 今回の出張の内容は、聴覚障害学生への支援にかかわる研修会です。
 この件については、若干思い入れがあります。それは、私が学生時代に、聴覚障害のある友達とゼミをともにしたからです。

 以前(2001年)に、学生向けに書いたエッセーを再掲します。


1.レオくんがゼミに参加して

 98年度、私がゼミ長をする日本福祉大学障害児教育ゼミには、聴覚に障害をもつレオくんが参加することになりました。レオくんは、手話、または口話を用いて他者とのコミュニケーションをとっており、講義には要約筆記(以下、ノートテイク)を友人に頼んで参加しているとのこと。そのようなレオくんが参加してゼミ運営をどのように進めていくのかについて、年度の初めにあるゼミ合宿において議論し、学習することになりました。

 ゼミ生で話し合った結果、合宿中にレオくんからノートテイクの方法・技術について学び、ゼミ生が交代しながらそれを担当していくことになりました。合宿では、ノートテイクを初めて経験する学生、またレオくんに配慮せずに早口で発言する学生も多かったのですが、23日の合宿中に交流を図る中で、ゼミにおいてレオくんを含めた全員が情報を共有していく(情報の保障)ことへの理解が深められていきました。

 しかし、実際にゼミ活動を進めていく中で、様々な壁にぶつかりました。学生によってノートテイクの技術に差があること、筆記の速度が遅いと情報の伝達に時間差が生じてしまうこと、それによってレオくんが理解し発言を検討する前にどんどん次の内容へと進んでしまうこと、ノートテイクをしている学生はゼミへの参加が制限されてしまうことなど、いろいろな問題点が出てきました。

 特に、この「時間差」には大きな問題があります。私たちも経験がありますが、「何かの話題でみんなが笑っている。でも、自分にはなぜみんなが笑っているかわからない」。これは大変つらいことです。その場の笑の輪の中には自分一人が参加できない。そして、ノートテイクをする者も、そのみんなが笑った内容を文面でどのように伝えるのか、大変難しいものがあります。

 このように、レオくんからゼミ生に伝えたいこと、私たちからレオくんに伝えたいことが、スムーズに伝達、交換できない、場合によって時間差だけではなく、誤解されて情報が伝わってしまうなどコミュニケーションの難しさを経験しました。何か問題が出てくる度にみんなで考え、議論していくのですが、それらを解決する明快な答えはなかなか導き出せませんでした。

 ゼミ内だけでの問題解決に限界を感じ、この年から開設された障害学生支援センターへ何らかの協力をしてくれるようはたらきかけを行いました。その成果もあって、後期からゼミには、学内の登録ボランティアで、県の手話通訳者(夜間部学生)でもある方が派遣されるようになりました。

 しかし、レオくんから、新たな問題提起がされました。「みんなが、ぼくに向かってではなく、手話通訳者に向かって話している。気持ちが伝わってこない」というのです。

 情報の保障という面では改善されましたが、ゼミ内でのコミュニケーションという面においては、私たちにはまったく気づかない難しい問題があったようです。

 
2.レオくんとのプライベート

 私はゼミ内での数少ない男性どうしということもあって、レオくんと大変仲良くなっていきました。多くの時間を彼と過ごしました。

 私は聴覚に障害をもつ知り合いが多いのですが、手話はできません。ですので、レオくんとのコミュニケーション手段は、筆談、口話と少しずつ覚えた手話、私たちだけの理解できる(私たちが開発した)手話などでした。

 私も彼も議論が好きで、夜な夜な彼の家で、福祉のこと、障害者のこと、女性のことなどを語りあいました。出会ったはじめの頃は、レオくんも私の口話に慣れていないので、なかなか読みとれず何回も聞き返しては疲れている様子。私も自分の思いがなかなか伝わらないのでやはり疲れます。しかし、しだいに彼は私の口話を読めるようになり、私も彼との交流の中から手話を覚えてきたので、コミュニケーションがスムーズになってきます。私たちならではの手話表現も出てきて、コミュニケーションが楽しくなっていきました。そして、おかしな話なのですが、人の話を私が口話で通訳するという状況もでてきました。コンパの席など、いつも私が意識的に彼の近くに座り、口話での通訳をしました。(レオくんにその意識があったかどうかはさだかではないが)

 ゼミでバレーボール大会に参加した後の打ち上げの席でのことです。酒もまわり、盛り上がってきた頃、レオくんは突然その家にあった漫画の本を読み出しました。私もみんなで話しているのにおかしな奴だと思ったのですが、ある一人が「みんなで楽しく話しているのだから、漫画なんか読むなよ」と彼に言ったのです。レオくんはそれを謝りながら、「でもみんなの話しにぜんぜんついていけなくて、ついていこうと頑張っているんだけど、すごく疲れるんだよね」」と言いました。また、コンパではこんなこともありました。レオくんがコンパの席で元気に仕切ることが多かったので、私は彼の明るい性格ゆえと考えていたのですが、何か際にそのことに触れて、「自分が仕切っていると、みんなが自分のペースにあわせてくれる。自分の文脈で参加することができる。だからちょっと無理してあんなに仕切っているんだよ」と言いました・私には想像のつかないことでした。

 
3.レオくんと離れて

 現在のレオくんと私とのコミュニケーションの方法はファックスが中心です。近況の報告をしあいます。でも時々、彼からの留守電もあります。「留守電のピーという発信音」だけは聞こえるのだそうです。そのレオくんの留守電メッセージは仲間内の評判がよいため、彼は自身をつけ、頻繁にあちらこちらに電話をしているようです。

 4年生となった彼は就職活動の真っ最中。福祉現場での就職を希望しています。以前彼は就職について、こんな悩みを語っていました。

 知的障害者施設で実習をした時に、入所者がレオくんに何かを伝えている。しかし、レオくんは一生懸命理解しようとするが、その入所者の言っていることが全くわからない。後で、職員にその内容を聞いたら、入所者はトイレに行きたい旨を伝えていたそうです。「あの入所者の言いたかったことが、命に関わることだったら・・・」と彼は言います。


――――――――――――
 そんなレオくんは、「NHK 福祉ネットワーク」で2日間にわたり紹介されました。
 現在は、聾重複障害者施設で管理者として勤めていること。一方で、家庭では一児(現在は2人)の父親として奮闘していることなど、全国に放送されました。

 http://www.n-fukushi.ac.jp/news/11/111004/11100401.html

 

2014年2月7日金曜日

世迷い言


 私が生まれたころ、日吉ミミが「世迷い言」という歌をうたっていた。作詞・阿久悠、作曲・中島みゆき。私はテレビドラマの再放送で、主題歌だったこの曲を聴いた。そして、後に中島みゆきのアルバムで、中島がカバーした曲を聴く。

 ふられるときまって風邪をひく…

 こんな「○○だと……する」といった体調にかかわる因果関係(!?)は、実は私にもある。しかし残念ながら、恋愛に関することではない。
 「原稿(論文)を書きだすと胃が痛くなる…」。今まさに胃の痛い日々であり、今後これがしばらく続く見通しである。なんとも自分には不向きなことを生業にしてしまったものだ。
 そして胃が痛くなると、きまってわが地元、釧路市城山商店街を思い出す。(…なぜ、突然商店街の話になるのかわからない方が多いと思うが、私の中ではちゃんとシナプスでつながっている。)
 
 高校時代、私は教育大学に近い材木町の下宿から学校に通っていた。その3年間のうちに2回ほど胃カメラを飲んだ。いまはフィットネスクラブの駐車場になってしまったところだが、当時胃腸科を標榜する医院がそこに、城山商店街にあった。
 胃カメラは本当に苦痛だったのだが、実は高校生の私には一つのステータスでもあった。胃を痛めるくらいまじめな、一所懸命な自分…。そんな自分を演出していたような気がする(痛いことには間違いないのだが…)。

 当時、城山商店街には、店がたくさんあった。
 私が住んでいた下宿屋は日曜日は食事がなく、 仲間といっしょに商店街のどの店で食事をするかが、一つの楽しみであった。レストランでのスパゲティ、立ち食いそば、喫茶店でのカレー…、。
 今、学生たちがアルバイト等でもお世話になっている二つのコンビニも、当時はどちらも食品を扱う商店だった。私は下宿屋に近いお店をよく利用した。卒業の時、引っ越し荷物をそのお店から送ると、「あなた、まだ高校生だったんだ…」と驚かれた。当時から老け顔だったらしい。
 今はやめてしまった金物店のご主人には、ボランティアサークル「微・すけっと隊」に誘ってもらい、釧路養護学校をはじめとする子どもたちとのレクリレェーションに参加する機会を得た。
 今も現役ばりばりの床屋さんには、3年間通った。とにかくおじさんとたくさんおしゃべりをした。水産・炭鉱が盛んな頃の釧路のにぎわい、仕事が忙しかったこと、お孫さんのこと…。おじさんは十勝の生まれで、十勝空襲のことも話してくれた。

城山商店街のみなさんで担っている「もしりや子ども神輿」


 …
 先日、副学長補佐として、大学が大津波警報時の緊急避難施設に指定されたことに伴う、近隣住民への説明会を担当した。事前の広報から当日の運営まで、商店街や町内会の方たちのご意見を伺いながら、進めさせていただいた。

 その説明会の会場には、高校時代からお世話になっている城山・材木町・大川町のみなさんが、たくさんいらしていた。「足が悪い高齢者をどう避難誘導するのか…」など、たくさんの質問・意見を出していただいた。

 個人として、また地元に根付く大学の教員の一人として、この地域にどんな恩返しができるのか…。胃の痛みがそんなことも考えさせる。

 
4月になると毎年掲示していただく看板


2014年2月1日土曜日

【本日放送!!】福島をずっと見ているTV(Eテレ)

 

 トップの発言も、私が通勤時によく聴くラジオから(結果として)研究者が排除されたことについても、首をかしげることは多い。この二つは、同根である。




 組織を人になぞらえ、人格としてとらえるまでもなく、組織はネガティブな面ばかりではない。たとえ、ネガティブな面が大きくても、その内部には私と同じように「自己変革の願い」があり、発達要求が隠されているはずである。某組織も、私が所属しているいくつかの組織も、そうであることを信じたい。
 数々の矛盾は、発達、変革の原動力になっていく。

 
 そして、人と同様にたくさんのポジティブな面もある。最近の個人的なヒットは、美輪明宏が出演した「SONGS」(2013.9.21放送) である。反戦歌「悪魔」「亡霊達の行進」を冒頭から続けて歌い、若者たちと対話をする。
 彼の著書『戦争と平和 愛のメッセージ』(岩波書店)に記された内容を、彼の歌と生の声で聴くことができる番組だった。

 「戦争とは、あなたの愛する人が死ぬということです。理不尽で悲惨なことばかり、それが戦争です。今、またそれを始めようとする悪魔が迫っています…」

 この言葉は、戦争体験がなく、また想像力を奪われている私の心に大きく響く。


 さて、話をNHKに戻して(?)…リテラシーをはたらかせることを前提として、私がお奨めする番組を紹介する。

 【本日2014.2.1 放送】

 
 福島をずっと見ているTV(Eテレ)

 
●午後324分~午後350
  vol.32「箭内さん、原発へ行く」(前編)【再放送】
 
   番組MC箭内道彦さんが、福島第一原発に行くことになった。初めて入った原発構内で、箭内さんは何に注目し、何を感じたのか?箭内さんが撮影した写真とともに振り返る。

●深夜0時~ (2/2)
  vol.33「箭内さん、原発へ行く」(後編)

  前回、福島第一原発で黙々と働く作業員の姿を目の当たりにした箭内さん。彼らはどんな思いを抱えて作業にあたっているのか?今回、原発作業員の生の声に耳を傾ける。



 私は、12年3月、13年3月の2回にわたり、岩手・宮城・福島を歩いた。2013.3.25、私は、福島県いわき市からレンタカーで国道6号を北上し、警戒区域が再編されたばかりの福島県富岡町に入った。




 JR富岡駅前は、時が止まったかのよう…



 国道6号を北上中は、原発で作業する人たちを乗せたバスとひっきりなしにすれ違った。
 シートにもたれかかるようにして座る作業員の姿が印象的だった。
 
 
 実は、知らなかった。事故前から、ある特定の人々の健康被害(被ばく)を前提として、原発が動き、私たちが電気を得ているということを。
 
 
 
 
 
つづく…


【リンク】 福島をずっと見ているTV(Eテレ)