2014年1月24日金曜日

君が僕を知ってる



 頭クラクラ、体フラフラ… 多忙な日々を過ごしています。昨日は分刻みで業務が入り、授業が終わったら市内を東へ西へ。中学校と保育園をまわってきました。
 最近は、研究室に備蓄しているお菓子を食べる暇(気分)もない程。中性脂肪のおなかが少しへこんだような気がします。

 大学玄関の解錠に合わせて、暗いうちから出勤するようになって数ヶ月。出勤後は研究室のブラインドを空けて、太陽を浴びて仕事をするように心がけています。私のような当事者には、おひさまの光が大切だとのこと。朝はレイチャールズをBGMに、たまった事務仕事を片付けることから1日がスタートします。
 寒さは厳しいですが、日の出の時間が早まっていることを実感します。

 書きたいことは山ほどありますが、今日は簡単に業務連絡まで。

 昨日(23日)、「障害児支援法Ⅰ」の授業で、久しぶりに歌をうたいました。自閉症児のアタッチメント形成、心理的拠点(「安全基地」がわかりやすいが、「基地」という言葉を使うことに抵抗がある)の話から、忌野清志郎「君が僕を知ってる」へ。ワンコーラスでやめました。
 
 学生の感想用紙に、「先生が歌った曲のタイトルを教えてください」との質問がありましたので、ここでお知らせします。
 私からのメッセージが、少しでも伝わっていることを願って…。

 愛着の対象は、子ども自身が選びます。
 教師の一人として、学生・子どもたちから「信頼できるおとな」として選んでもらえるかどうか。そして、それが少しでも彼らの支えとなるかどうか。格闘の日々が続きます。

 追記
 最近、清志郎を聞き返しています。こんな時代だからこそ、清志郎にいて欲しかった。いまの世情に対し、清志郎ならどんなロックを見せてくれただろう…と考えます。「清志郎考」はまたあらためて。




 

2014年1月17日金曜日

「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が施行


 本日、2014年1月17日、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が施行されました。
 以下、1月10日の担当大臣の記者会見要旨です。


森内閣府特命担当大臣記者会見要旨

発言要旨 <子どもの貧困対策の推進に関する法律の施行について>
 おはようございます。私からは1点ございます。
 子どもの貧困対策の推進に関する法律の施行についてです。 本日の閣議で、昨年6月に制定された子どもの貧困対策の推進に関する法律について、 施行日を定める政令等の関係政令を決定いたしまして、 同法は1月17日に施行することといたしました。
 子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、 必要な環境整備、教育の機会均等を図る子どもの貧困対策、大変重要でございます
 今後、内閣府としては、具体的な施策を担当する文部科学省、厚生労働省と連携して、 大綱の策定作業を進めることとしておりまして、法律に基づく取組を着実に進めてまいりたいと思います。
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 6月の国会、全会一致で成立した法律です。当初、野党案にあった貧困対策の「数値目標」が削られたことには大きな不満が残りますが(…行政の責任をあいまいにするものです)、法律が施行されたことは、対策に一歩踏み出したこととして喜びたいと思います。
 今後、国・都道府県などにおいて、子どもの貧困対策の計画が立てられ、具体的な支援策に取り組むことになります。その計画立案及び支援策の具体化の段階において、日々子どもの貧困の現場と向き合い試行錯誤する私たちの意見を、積極的に発信していきたいと考えています。

 「子どもは生まれる家も、地域も、国も選べない」

 にもかかわらず、貧困をきっかけに生じるさまざまな困難を「自己責任」として、子どもに引き受けることを求める場面が、この社会の中にはあります。
 私は、これらを「許容することができない差別問題」として考え、スクールカウンセラーとして出向く学校を中心として対応に奮闘するとともに、さまざまな発信をしてきました。昨年は反貧困全国キャラバン2013・スタート前夜集会において、「なくそう! 子どもの貧困 ―誰もが健やかに育つ社会を目指して」という講演もさせていただきました。

 「特別支援教育を専門とする人間が、なぜ貧困問題に取り組むのか?」とよく言われますが、子どもの貧困はその生活(いま、ここ)にかかわることのみならず、その人格の形成にも大きな影響を及ぼします。つまり、教育の課題でもあるのです。
 
 「生を享けるすべての子どもが健やかに育ち、育てられるように…」

 その願いを実現するために、自分にできることは何か考え続けたいと思います。


※数値目標について

 私は、なんでもかんでも「数値目標を立てて…」ということには賛成しません。とりわけ教育の現場においては、その目標が一人歩きし、子どもの最善の利益とは齟齬をきたすことが多々あり、注意が必要です。
 一方、同法律で数値目標をなくしたことは、行政(大人)の責任をあいまいにしたものとも考えられ、こちらには目標が必要だったと考えるのです。
 …子どもたちには、学力をはじめとして「数値目標」を設定して「頑張れ、頑張れ…」と尻を叩くのに、大人は免責???…と考えてしまいます。 
 「大人はズルイ!」と思うのは、私だけでしょうか?

 なくそう! 子どもの貧困 全国ネットワークのHP


2014年1月13日月曜日

出張の道中の楽しみ(1)



 釧路は、どこに行くのも遠い。大学の本部がある札幌に行くにも、JR北海道の「汽車」で行くならば、片道4時間以上かかる。新幹線の「のぞみ」ならば、東京から広島まで行ける時間である。 注)決して距離ではない。


 以前は、この時間がとても苦痛であったが、今は「読書の時間」と割り切って、その時間を楽しむことにしている。途中、峠があるので私が使うモバイルは接続されない。パソコンを開いてもとりわけ左右への「揺れ」が激しいために、文書を打っているうちに酔ってしまう。読書か、寝るかしかないのである。


 今日もある会合で、知人から「大学の先生は本を読むのが仕事だけど…」と言われた。そのとおりと思うが、今の大学の現場は、4時間まとめて読書に使う時間などとれない。そのような意味でも、移動の時間は貴重であり、楽しみなのだ。

 一方、汽車(繰り返すが、電車ではない)がないところへの移動は、自動車を走らせるしかない。その道中の楽しみは、一人ならば音楽を聴いて思想にふけり、同乗者がいるならば「おしゃべり」である。教育大釧路校の特徴的な教育活動の一つである「へき地校体験実習」では、われわれ大学教員が根室・釧路・十勝管内の各学校、教育委員会にたびたび足を運び、教育実習の調整を行う。その道中、同僚との、また学生との会話は、ふだんそのようなかかわりが少ないだけに楽しいのである。…大学の現場は、同僚や学生とたわいのない会話をする余裕が、物理的にも精神的にも奪われている状況にある。

 おととい、釧路民間教育研究団体連絡協議会(略して釧民教・せんみんきょう)の第102回研究集会に参加するため、標茶町茅沼温泉に車を走らせた。体調があまりよくなかったので、分科会だけの参加ではあったが、大学院生のオオヤくんと片道1時間弱の道中をともにした。

 オオヤくんと私は、彼曰く「6年の腐れ縁」という関係。学生から腐れ縁と言われたのには驚いたが、確かに彼が学部1年の時から大学院2年の今日まで指導を担当してきた。私は、彼に対して、政治のこと、社会のこと、今の若者のことなど、いろいろと率直に話ができるし、彼も私に対してはある程度素直に話してくれる。たとえ私と考えや意見が違っても、しっかりと自分の考えを表明してくれる、数少ない手ごたえのある学生の一人だ。

 この数か月、私たちの二人の会話は、修士論文作成にかかわることばかりだったので、この日はあえて違う会話をしてお互いの気分転換をしようと思い、最近の沖縄のこと、福島のこと、秘密保護法のことなど、ざっくばらんに話した。

 
【会話の中で…】
 トダ「授業でも、学生たちにこんな話をするけれど、なかなか自分事として考えてはもらえない。どうしてかな?

 オオヤ「……いや、自分もそうですけれど、興味がないわけではないですけど、"自分のこと"で精一杯なんじゃないですかね。自分のことで…」

 トダ「そうか…、そうだよな。 日々、自分のことで精一杯だよな…」

 思い出してみると、自分の学生時代も、自分の日々の生活のこと、離れて生活していた家族のこと、自分の進路のことなどを考えるのが精一杯で、社会の問題やそれが自分の生活とつながっていることなど、あまり考えてはいなかった。そんな自分のことを忘れ棚に上げて、また今の学生のしんどさに共感もせずに、何かを偉そうに言っている自分に気づかされた。
 またまた、オオヤくんから学び、気づかせてもらった瞬間だった。こうやって、学生から学ぶ機会があるから、しんどいことも多いけれど、なんとかかんとかこの仕事を続けていけると思う。
 ここに永六輔『大往生』(岩波新書)で読んだ「妙好人の歌」を引用する。

「子供叱るな来た道だもの
 年寄り笑うな行く道だもの
 来た道 行く道 二人旅
 これから通る今日の道
 通り直しのできぬ道」


 
成人の日に際して…
 「成人したみなさんへ」
 
 いま、皆さんが生きやすい社会をつくれなかった責任の一端を、大人の一人として痛切に感じています。申し訳ありません。
 今後、成人として、この社会の主権者の一人として、誰もが健やかに生活できる社会をつくっていくことに参画してくださることを、一緒に取り組んでくださることを期待しています。
 その時まで、ぼちぼち待っています。

2014年1月7日火曜日

みんなの夢まもるため…


「がんばれ!」「がんばって!」と他者にかけられる励ましの言葉。
 陸上競技の仲間にかけたことはあるけれど、大学の教員として勤めてきた13年のあいだ、学生に対して使った記憶はほとんどない。否、意図的に使ってこなかったという方が表現としては正しい。
 他者が「がんばれ!」と言葉を発する時、すでにその人はがんばって、がんばってギリギリのところにいる「かもしれない」。だから、自分は容易には「がんばれ!」と励ませない。そう考えるのは、自分にそのような経験があったからだ。
 励ましてくれているのに、善意で言ってくれているのに、「これ以上、どうがんばればいいの…」と泣きたくなったことが何度かあった。私と同じように、がんばらなければならないことがわかっているがゆえに、「しんどい」と言えない人たちがいるのではないかと考えてしまうのだ。
 本州に出て、学んだことの一つに「ぼちぼち」という言葉がある。恩師の一人である近藤直子先生から学んだ。近藤先生からは、今の研究者生活に繋がるたくさんの事柄を学んだはずなのに、自分にとって一番大切な学びは、この「ぼちぼち」という言葉だった。
 では、それを学んだ自分が、この言葉の意味することを他の言葉に置き換えることができるか。そして自ら実践できているかと問われれば…いずれも否である。私にとってはそれくらい、かけがいのない表現であり、貴重な言葉なのだ。
 最近、特に「ぼちぼち」という言葉を他者に対してよく使っているようだ。それだけ、私のまわりが大変そうに見えるのか。それとも自分のしんどさを他者に投影して「ぼちぼち」という言葉をかけてしまうのか。いずれにしても「こちら側」としては、言葉をかけるならば、ぼちぼちの方が座りがいい。




 東日本大震災後、2度ほど岩手・福島を中心に歩いた。「自分にできることは何か」を考え、講演活動や教育相談などをお引き受けしてきた。
 東北のいたる所で、やなせ・たかしさんが描いたアンパンマンのポスターや色紙を見つけた。宮古市のある会館で見た色紙には、アンパンマンが飛んでいる姿の横に、やなせさんが作詞した歌の一節が記されていた。

「おそれるな がんばるんだ
 勇気の花がひらくとき 
 ぼくが空をとんでいくから
 きっと君を助けるから」

 私に向けられた言葉ではないけれど、アンパンマンから発せられる「がんばるんだ」の言葉にまったく違和感はなく、私も素直に励まされた。
 (置かれている状況の差はさておき)…がんばれと言った人によって、それが誰かによって、言われた側の受け止め方は違うんだ。あのアンパンマンに「がんばれ」と言われたならば、私ならぱとても嬉しい…ということに気づいた。

 私が生まれた1976年、やなせたかしさんが「あんぱんまん」(フレーベル館)という絵本を出版した。
 以下、この本の「あとがき」を引用させていただく。



「あんぱんまんについて  やなせ・たかし」

「子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。
 ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、飢えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。
 あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、飢える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。
 さて、こんな、あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか。」

 
 
 大学の教師としての私。臨床の現場で、多くの子どもたちとふれあう私。
 私もアンパンマンになれるかな……。なりたい!!

 
 さて、前段がとても長くなりましたが…
 昨年亡くなったやなせ・たかしさんのドキュメントが、NHKで再放送されます。

 いま、このな時勢だからこそ、多くの方に見て欲しい。
 そんな願いを込めて、投稿します。
  
 

※番組紹介
 【再放送】201419()午前040分~129分(8日深夜)
 

2014年1月5日日曜日

ブログをはじめます。よろしくお願いします。


 北海道教育大学釧路校、戸田竜也です。
 この度、6年ぶりに個人(研究室)のHPを改訂することにしました。合わせて、ブログを開設します。

 フェイスブックも、ツイッターもやっていません。電話は二つ折の携帯を使っています。また、管理している公的なHP、ブログが複数あり、さらに個人ブログを開設することには躊躇もありましたが、新規開設の理由は以下の2つです
 (ここまで書いて、このような説明が必要かどうか、わかりませんが…)。


1.「2018年問題」を前に、北海道教育大学釧路校の魅力をアピールしたい!
 「釧路」は、全国の天気予報で見ると一番右上、つまり日本の東端に位置します。「釧路校」は、日本最東端の国立大学です。この地域は、ドラマ「半澤直樹」において、その友人が「左遷先」として示され、大きなショックを受けた地域です(見ていた私はもっと大きなショックを受けた…)。
 しかし、その自然の豊かさ、地域の暖かさ、大学の特色、教育の自由さ…などは、教員を目指す人々にとってとても貴重なフィールドになることを確信しています。
 大学の公的なHPの他に、一教員のメッセージ、ストーリーから、釧路校の魅力を感じていただけたら幸いです。


2.在学生に対してのメッセージを発信したい!
 授業は限られた時間内の勝負です。私のように、授業のコマをたくさん持っていても、それ以上に伝えたいこと(伝えなければならないこと)がたくさんあるため、授業が早口で、たくさんの内容を詰め込んで結局は…とならざるを得ないことが多々あります。
 先日、「特別支援教育特別演習」という授業で、「子どもの貧困」の話をしました。私から「貧困」について話ができるのはこの時間だけですが、特別支援学校の免許を取り、現場に出る皆さんにこのこと(NHK Eテレ)も伝えたかった。
 そのような、授業としては取り上げられないことを、ここで発信できればと思っています。
 学生の皆さんには、「プロの教師」を目指すとともに、それ以前に社会人として、主権者として自身がどのように考え、振る舞うかを日々の生活の中から感じて欲しいと思っています。
 社会人として、主権者として…ということは、実は「プロの教師」の大きな構成要素だと私は考えています。


最後に、とてもプライべートなとことになりますが…
 2年つづけて、年賀状というものを出せませんでした。年末になると、7年前に入院した古傷が痛み出し、調子を崩します。ここ数年、このようなことを繰り返しています。
 お世話になっている皆様には、1月中に「寒中見舞い」を出せれば…と思っています。どうかご容赦ください。